大学病院に転院した当初
大学病院に転院してからも、ずっと個人の産院に戻りたいと思っていました。
戻る気マンマンでいました。
救急搬送されて大学病院に入院したときの話はコチラをどうぞ↓↓
25W0D 救急搬送①ー鮮血の出血!産婦人科へ
25W1D 救急搬送②ー鮮血の出血!大学病院へ
だったのに、妊娠9か月くらいで食事を節制しても太ってしまい、体重管理がイヤになる。。
そして個人の産院だと体重管理が厳しいのでそれがイヤだと思うようになり、大学病院でそのまま産みたいという気持ちに方向転換しました。
大学病院の主治医がイマイチ乗り気じゃなかったけど、結局36週の検診のときに大学病院で産む!と決めました。
もし個人の産院で産む事にしていたら、転院してすぐに出産という事になっていたし、結果的には良かったかな。
あんなに希望していた個人の産院
そうなんです。どうしてあんなに個人の産院で産みたかったのかって。
産後のご飯が美味しかったんです。
転院したくない理由も不純だけど、この理由も不純ですね。
でも、よくよく考えたらそれだけで。
あ、あと個室だったことかな。
イヤだった事を思い出してみると・・・
- 完全母乳推進だったので、授乳時間が少しズレただけで怒られた
- ミルクなし、完全母乳で眠れないのは当たり前だった
- お局の助産師のおばさんがコワかった
- やたらと講習が多くて、眠れてないのに、しんどかった
- 個室だったけど、お医者さんも助産師さんもしょっちゅう入ってきて気が休まらなかった
- 毎朝の内診があって痛かった
- 会陰縫った後の抜糸があって痛かった
- 退院前くらいになると、監視から逃れたくて、早く家に帰りたかった
こんなにありましたw
今になると、大学病院と比べる事も出来るので尚更感じているのかも。
ご飯と個室も、結局はお金が余分に取られているし。
そうなると良いトコないやーんって、今となっては思っています。
会陰の抜糸については、後になってやってよかったと思う事になります・・
詳しくはコチラ↓↓
産後7日目 会陰が痛いイタイ!
産後24日目 溶ける糸が溶けない件
大学病院の良かったとこ、悪かったとこ
良かったとこ
- 助産師さんが優しい!
- 母乳ゴリ推してこないので、夜も眠れてラク!
- 放置されるので、干渉されている感がなくてラク!
- 何かあっても、安心
- 同じ部屋の人と仲良くなれる
- 毎朝の内診があって痛かった
- 会陰縫った後の抜糸があって痛かった
- 退院前くらいになると、監視から逃れたくて、早く家に帰りたかった
- 入院費用が高い(出産手当金プラス10万くらい)
悪かったとこ
悪かったというと、ちょっと語弊があるけど。
考えられるだけ、挙げてみました。
- ほぼ放置でオムツの付け方も聞かないと教えてくれないので、積極性が必要
- 大部屋は同じ部屋の人の会話が聞こえる
- 部屋を移動させられたりする
- ご飯はまずくはないが、普通
- テレビや冷蔵庫、オムツは有料
挙げてはみましたが、そこまで不満はなく。
よく眠れたし、ストレスフリーでした。
同じ部屋に中国の方がいらっしゃって。
日本語ができないようで、会話が大変そうでした。
英語はできるみたいだけど、英語ができる助産師さんがあまりいない。
それでもナースコールは遠慮なくガンガン使っていて
「ポンプチェンジプリーズ」「ミルクプリーズ」という声が頻繁に。
帝王切開で出産されたようで「ペイン!ペイン!」と叫んでいたり、
中国語の子守歌を普通の声の大きさで唄われていたりしていました。
異国での出産って大変だなぁと思いつつ、まぁコレはコレで面白い経験でした。
大学病院で良かった!
1人目が母乳推しのとこだったので、1時間置きくらいに母乳をあげてたら、凄く褒められました。
が、こんなに頑張らなくていいよと心配もされました。
赤ちゃんがなかなか泣きやんでなかったのを見かねて「休んでていいよー」と言って、私が遠慮する隙を与えず預かってくれたりもしました。
このくらい頑張るのが普通と思っていたので、最初はちょっと拍子抜けしましたが、遠慮なく甘えさせてもらいました。
母乳推しの産院では、母乳あげろあげろと怒られたりしたしな。
優しさが染みます・・・。
出産を終えて、結果的にはつくづく大学病院で産んで良かった!と思ったのでした。